スギダラ天竜支部



わらしべの里共同保育保育所見学 その2

続いて、わらしべの里保育所所長の長谷川佳代子氏の方針についての感銘を書きます。
ただし、見学訪問当日は休園日でしたので、園児たちを直接観察していませんのでご了承ください。

長谷川さんのスタンスはこれ。
「子どもの成長を、覗き見る」

語感が悪いので公の場では「覗き見る」とは言わず「見守る」と言い換えているそうですが、感覚そのままで言えば「覗き見る」だけだとのこと。

その真意は、「子どもを信じて、子どもが自らの力量を確かめていく、かみしめていく過程を、ただただ一緒にいること。『見守る』とは上から目線。大人が何かをして育てるという感覚になる。私は、子どもが自ら成長する様子を、こっそり見ている感じ」とのお言葉、がーーーん!どーーーーん!と感激しました。

心のどこかで、「子どもって、もっといろいろ出来るんじゃないか」と思っていた。もっと任せていいのではないかと。それに近いことを、実際に子どもに接している方が信念とされているとは、とても心強い。

配布資料によると、わらしべの里保育所は、そもそも預ける場所も機会もなくて困り果てた子どもとお母さんのために「子どもの居場所としての保育園」を作ったことに始まります。スタートは、自閉症と脳性まひを持った子ども達だったのだけど、障害があろうがなかろうが、その子の存在を認めることが出発点だったとのこと。

さらに資料には、「存在を認められた子どもたちは働き者になる」との一言が。
子どもの存在を認め、子ども自身に成長を任せ、大人は覗き見する程度 という方針による保育の様子をいくつかお話しくださいました。

※「覗き見る」ということは、「完全放任」ではないのですが、いかほど子どもと関わっているのかは今回の訪問では(保育自体がテーマではなかったこともあり)読み切れませんでした。
以下、長谷川さんのお話くださった具体例をお伝えします。

○園にスケジュールはありません。
驚きでした。大人ですら、「お昼休み」が決まっているというのに・・・
園に来たら、誰もが好きなだけ遊びまくる! 園庭で泥遊びしてもいいし、雨の日は園舎内を周遊してもいい。とにかく遊んでいるうちに、お腹が減る。園児たちは給食を待ちわびる。給食が完成したら食べたい人が食べる!
また、遊び尽くしているため午後になれば眠くなる。眠くなればお昼寝をする、という具合。

年長さんくらいになると、給食の食器は軽くゆすいで返却するという芸当ができるそうです。(私は感心しましたが、一般的にできるものかどうかは誰か教えて)
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食器をゆすいで返却するための子ども用流し。低いです。


また、古川さんはこのお話を聞いて、3・4・5歳児室から厨房の様子が見えるように設計したとのこと。心ニクイぜ。

そうじの時間も特に決まっていないそうですが、(確か)自主的に子どもらは雑巾を取り出して拭き掃除をするとのこと。

→おそらくコミュニティの出来始めのころは、職員による掃除への誘導や、「雑巾とは掃除用具である」「汚れたら掃除で綺麗にすることができる」という伝達はあったと思うのです。一度園の文化ができると、子どもらの間で「汚れたら掃除をすると綺麗になる」という知識が引き継がれているんじゃないかと想像します。

○園にクラスもありません。
特段分けてはいないようです。
担任もいないわけですが、職員は、園児全員を把握しておくという努力とスキルが必要になるとのこと。
→つまりは、一線を超えた場合には大人が声がけなり何なりで、介入するという意味だと思います。その一線をどこに引いているのかは分かりませんでした。事例から想像するに、一般よりも相当奥に引いていると思います。

○子どもたちが園外に遊びに行きたいと言えば、行かせます。
→これこそ、おそらく、外に行くだけの経験を積んだ子どもなら行かせる、という意味だと思います。今回見学した新園舎の南側は幹線道路で危険なため、そちら側になるべく園児が出ない建物の位置と間取りになっているとのことですから、危険に近づけないという大人としての配慮はゼロではない。でも例えば「川に行ってくる!」と言われれば送り出す とのお話でした。
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「川」とは利根川で、超でかい川です。「危険」いっぱいです。


おそらく、泥遊びなり園外経験なりで、水の怖さを知っている子だと見極めての許可だと思います。また、遠くまで行って迷子になる心配はとも思いますが、前述の通り、お腹が減れば帰ってくるので問題ないと。

聞いた話ですが、ジプシーの子どもは(放浪しているジプシーって、もうあまりいないそうですが)、子どもが親の居場所を常に把握していてはぐれないように気を配りながら、周りで遊ぶんだとのこと。親が移動し始めればついてくるというお話。
必要があれば、子どもが気を配れるんだ!という衝撃の小話でした。


想像の部分が多くなりましたが、とにかくこの園はその方針で回っているわけです。
長谷川さんは力強くおっしゃいました。
「子どもに任せても、ちゃんと秩序は保たれますよ」

うーん 信じがたい。でも信じたい。
そんな気持ちで聞いていました。


もう一つ、印象的なエピソードをご紹介します。

今回見学させてもらった新園舎は、室内の廊下は杉材でできています。旧園舎は檜の床材でした。新園舎に来た子供達は、床材の違いに気づき、「どう扱っていいかわからない」というような様子で、なかなか園舎内に入らなかったとのこと。そのうち、園のアプローチ(縁側のような場所・檜材でできている)と室内のそれぞれに片足を置いて仁王立ちになり、何かを確かめている様子だったと。

それほどに、鋭敏に材の違いを感じ取り、なおかつ扱い方がわからない=いためてはいけないという優しさなのか、または未知への畏れなのかわかりませんが、いずれにせよ「自らのありのままをいきなりぶつけない」という気遣いができるのかと、とても驚きました。


そんなこんなで、感動し感銘受けっぱなしの見学会でした。
企画&誘ってくれたココモリプロジェクトチームに、この場を借りて感謝いたします。
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園舎全景。

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# by sugidaratenryu | 2016-07-16 16:15 | つながり

わらしべの里共同保育保育所見学 その1

さて、見学にうかがったのは4月のことで、だいぶ時間が経ってしまいました。

というのは、建築の専門性を持っているわけでもなく、子供を育てているわけでもない私が何を語れるのだろうと悶々とするモードに陥ってしまったからなのですが、そういう立場の私でも大感動しました!!というお話は堂々とすればいいのだ という気持ちにたどり着き、書き出したしだいです。

というわけで、この記事は専門的な点や、保育や育児の難しさについては又聞きの域を出ていませんことご了承ください。あとは、感性にまかせて前のめりに見学させていただいた結果、あまりメモを取っていませんので間違い勘違いがある可能性もご了承ください。

そんな弱気な書き出しではありますが、こうなればガシガシ書いてまいります!

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さて、わらしべの里共同保育場は、埼玉県にあります。
設計は、アトリエフルカワ一級建築士事務所の古川泰司さんです。(初対面で名刺をいただいた際、私は第一声に「アトリエフルカワー って読めちゃいますね」とアホな感想を口走ったことを鮮明に覚えております)

埼玉と言っても広くて、ド都会から山までバリエーション豊かですが、保育所の周りはこんな感じで、畑が広がり、どっしりとした家並み街並みも感じられ、しかし幹線道路はトラックや車がガンガン走るというような、いわゆる都市といわゆる田舎の中間くらいという印象を受けました。
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わらしべ園庭から北東の風景


(今調べて認識しましたが)所在地は埼玉県の最北。園からすぐのところに群馬県との県境となる利根川が流れています。(たしか)その河川敷から、グライダーが離着陸するという、広々とした土地です。
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ちょうど飛んでたグライダーと、園舎アプローチ


何はともあれ、問答無用で建物が美しいことにキャッシーはド感動しました。すっと自然体に存在していて、凛としている。形や構造の随所に意味や想いがある。建築家としての美しさへのこだわりは、さりげなく適用されている。利用者(依頼者)の意図と建物が整合している。依頼者である園長先生の子供へのアプローチに大賛同!!と、とにかく建物から保育方針まで、ド感動だらけでした。

まずは建物の美しさから。アプローチの軒下がこちら。
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杉材の美しい廊下。
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お母さんたちが相談にくるという支援センター。そこはかとなくピンクです。かわいい。
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そして、わらしべの里の代名詞にもなりそうな大ホールこと3・4・5歳児室開け放ちバージョンがこちら。
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さて建築とは意匠ばかりではありませんで、構造やら行政の規制があります。これらについても、なんだかとっても爽やかに解決されていると感じました(すごいことほど、”ふつう”に見えるってやつですね)。

いただいた資料によれば、「建物は『準耐火』の木造。地元埼玉県の木材を81%使用、使用量としてはおよそ140立方メートル。」ということですが、シロウトにもわかるように古川さんが噛み砕いてくださった解説によってワタクシが理解したところでは
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・あらかじめ「45mm=40分の燃えしろ」を取ってあるため、火災時に燃えて崩れるまでの時間をかせぐ構造である(木造でも、逃げるだけの時間を確保することで多人数を収容する施設としての安全性を確保している)

・使うなら地元の木でしょ!、という気持ちがあっても、100%地元材!とこだわると”縛り”になってしまい、苦しいところが出てくる。8割が地元材なら誇っていいと思う。 

・大きな施設を木造すると使用量のインパクトは大きい。多くの人の目にも触れるので、アピールとしても強い。
[参考]普通の一軒家で使われる木材量は幅はありますが20~30立方メートルのようです(今Googleでちらっと調べ)。
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数字や規制に関する情報は上記のような感じです。とにかく火災を起こさぬよう、起きた時には命を奪わぬよう・・という規制の想いは、泣けますね。「そんなガチガチに言わなくても」と思ったりもしますが、根本は優しさでできているのが規制ですね。

燃えしろ構造にした場合の問題点になりやすいのは
・構造材が太くなるので、意匠上もっさりする
・使う材木量が増えるので、費用がかかる
ということですが、前者については、構造材を壁で隠してすっきりさせ、木面が見える量のバランスを取ることは可能とのこと(なおかつ壁に隠した部分は燃えしろが少なくていいらしい)。大ホールの写真を改めてご覧いただきたいのですが、もっさり感はどこにもないと思います。

あとは後者の「使う量に比例して価格が上がる」ことはあまり詳しくわかりませんが、とにかく国産材が安い現状なら問題ないんじゃないでしょうか(無責任ですみません・・・個人的にリアリティが持てない観点のため)。いや、真面目に考えると、外国産材はもっと安いのかもしれませんが、想像するに100の木量が120になることより、搬送トラックが3台から4台になることの方がお金かかりそうな気がします。

材料についてポイントだと思ったのは、設計士と構造計算担当が、しっかり連携をとったというお話です。構造上の安全性を担保するための構造設計は、計算によって純粋に答えを出します。具体的には、「ヤング係数(木の丈夫さの基準)は90で××立方メートルね!」という答えが出たりするようですが、現実的には、そんな丈夫な木がそもそも山から出ていなかったり取引している木材問屋さんのところになかったり、とどのつまり費用がかさむなどの状況が発生するわけです。

そこは設計士の腕の見せ所かとも思いますが、構造上の安全性と材料の都合、さらには利用者の三方良しの設計を導き出したわけです。


さて、構造と表裏一体の意匠や機能。構造と意匠と機能がうまくかみ合っている!という象徴的な2箇所をご紹介。

まずは大ホールの天井です。
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リズミカルに並ぶ桟は、実は大ホール真上については構造上の役割はないとのこと(別の部分で屋根を支えている)。構造上必要性があったのは、大ホールの左右に配された学童室と乳幼児などの部屋だけだったのですが、古川さん曰く「乳幼児から、3・4・5歳、そして学童(小学生)がみんなつながっている、ということを表現したくて、同じ意匠が続いているようにしたし、隣の部屋の天井が見えるように間をガラスにした」とのこと。

なんてこった!!

てっきり単に支えるための構造だと思っていました!! でもさりげなく、想いが表現されていた。押し付けるのではなく、そっと周りにいて気にかけている。そんな感じがしました!!

続いてこちらは、学童室の小上がり。今回のツアーでは、対談会場となり、小上がりの階段を客席にしました。
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これもてっきり、空間の面白さを意図したのかと思ったのですが、竜巻避難用の地下室を作る必要があり、しかし完全地下にするには地下水の水位が高すぎて半地下にしかできなかった結果、とのこと。半地下にしかできないことだけ考えたら、ネガティブ要素だったんだと思いますが、それが不自然ではないし不都合でもない形で収まっています。先に小上がりを設計したのではと思うくらい。

階段を駆け上がるって面白いし、上と下で段差があるやりとりも面白い。角や隅っこが多いので、落ち着いて過ごし易い。広さが魅力の大ホールとの役割分担でもあるし、年齢が上がった子供達は少し落ち着きが出てきますから、空間も落ち着き易い方がいいと思います。

同様な事情と形状は、大ホールを挟んだ反対側の乳幼児室にも取り入れられていて、ごく幼い乳幼児も広すぎる空間よりも安心する小空間がいいわけです。また、小上がりの上と下で年齢層が分けられていて、上は乳幼児、下はハイハイができる幼児のゾーン。ハイハイができる幼児って、年下の子への配慮ってまだできないと思うので(たぶん)、段差によって緩やかに区域を分けてあるってのもうまいもんです。それがまさか、地下水の水位から生じたうまさとは。


それから、設計者のさりげないこだわりがこちら。
逆光がひどくて色合いが酷くて申し訳ないのですが・・・この窓の作り方に、古川さんのこだわりが入っています。
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さりげないですが、この窓、窓枠が外側に取り付けてあります。つまり、この内側からは窓枠(サッシ)は見えず、額縁のようにさらっとしていて風景を邪魔しません。ほんとに、すこーーーんと枠が空いていて、あんまり窓って感じがしませんでした。開放感がとてもあります。

これは別に依頼されたわけでも要求があるわけでもない、古川さんのセンス!

そして、印象深かった古川さんの言葉は、「この園の方針を聞いて、子供達の動きをみて、先生方の様子を見て、それを邪魔しない建物を作るのがぼくの仕事だと思った」。

そうなんです!!!
日常を過ごす建物って、それくらい、無視できるくらいの存在感であってほしい。でも意識的に見た時には、とても丁寧な仕事だということがわかる。ずっと過ごしていたのに、あるときその意味にはっと気づく。
建物と人とは、そういう距離感でいるのが、私はここちいいと思います。

最後におまけ。
ハイハイができる幼児部屋から園庭へのアプローチ。ハイハイで直接お庭にでられる特別仕様です^^
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その2では、園の方針について語りたいと思います。
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# by sugidaratenryu | 2016-07-03 14:49 | つながり

「森の力」についての考察-音環境-

先日の木育楽会で紹介のあった「森に行くと、多動症の子供もずいぶん落ち着くんです」というお話。森や木の関係の場に行くと、同様に「森に行くと落ち着く」「癒される」という指摘がある。

これについて、私自身の経験則からのつれづれ考察です。


なんでそんな効果があるのか?
ズバリ、森の中は「静か」なんだと思います。

「可聴域」というものがあって、人それぞれ聞こえる周波数の範囲は違いますが、聞こえると認知できる音、できない音含め、「森は静かである」。
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何に比べて静かかというと、「人工物でできた建物の中よりも静か」だと思うのです。

人工的な音って、ちょっと不快なキンキン音も含んでいると思うのです。これは私の実感として。

例えば最近液晶テレビに替えたのですが、スピーカの質が落ちたのか、ちょっと高音が強くて最初違和感がありました。今は慣れましたが・・ 

で、こういう人工的に出している音は、部屋の中の人工物に反射して、ますますキンキンすると思うんです(後述しますが、実感として)。
表面が樹脂の扉とか、ナイロンのカーテンとか、家電(プラスチック)とかって、表面がツルツル固いのでよく跳ね返ると思うんですよ、音が。

たいていの人は慣れて、問題なく暮らしているのですが、森の中だと、そういう不快音がない。
音を出す方も自然物だし、周りにあるものも自然物だから、音そのものに不快さがなくて(※)、なおかつ出た音は吸収される。木の表面や、土、そこにある枯葉など、すごく表面が柔らかいな、吸音するよなこれはと、個人的にはびしびし感じます。
※根拠は、と言われると科学的ではないですが、想像として、森の中の音=人類数万年の進化の過程の間じゅう聞いていた音なんで、不快扱いはしないんじゃないかなと。

特に子供なんて、可聴域が広いと言われています。高い音がよく聞こえる、モスキート音の話もよく聞きますね。だから、人工的な部屋にいると、単純にうるさくてイライラしているんじゃないかなーと想像しています。森に来ると音がなくなって落ち着くのではないだろうか。

私の実感では、「古民家」も音を吸収します。

子供の頃の祖母の家は、築200年超の茅葺き屋根の家でした。その中の静けさと言ったらなかったです。その時は、広い屋根裏空間があるから音を吸収しているのかなーと漠然と思っていました。

大人になって、いわゆる「古民家」で、おそらく明治くらいに建てられた瓦葺きの2階建ての家にお邪魔したことがありますが、そこも静かだった。その時も、純和風の建築で形作られる空間が静かなのかな、と思っていました。

さらに、東京・目黒にある東京都庭園美術館の建物も、中は静かでした。それは、昭和8年に建てられた、完全なる洋館です。
■東京都庭園美術館 沿革

ということは、空間の形が吸音しているのではない。
おそらく天然資材で出来ていると、その部材が吸音してくれるのではないかなと。土間、柱、天井板、建具、壁紙、絨毯、大理石でさえも。

住宅メーカーが以前実験で、コンクリでできた箱と、木材でできた箱にネズミを入れて寿命を測っていたことがありましたね。結果は、木材箱の方が長生きでした。
■静岡大学によるマウス実験(どのページ見ても同じ実験を根拠にしているのが若干心配ですが・・いろいろな観点で実験してほしい)

「森には人を癒す力があるんです!!」と声高に言うと、怪しい世界に聞こえてしまう懸念があるので笑、一応科学的に(?)考察してみました。

こちらは林業女子会@静岡のワークショップで作った、木のチャイム。
スピーカからの音とは全然違う、やさしい音がします。
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ご意見いただければ幸いです!
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# by sugidaratenryu | 2016-02-27 11:39 | つれづれ

第一回木育・森育楽会

行ってきました、木育楽会!
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2点レポートします!

■木育とは何か
そう。これが一番知りたかった。

私個人は、直感的本能的に、「木っていいよね!」となりいろいろ関わっていますが、他人に説明できない・説得できないということを感じていました。「木育の定義とは?」というカタいテーマを自ら掲げ、分科会3に臨みました。

とても面白かった!

冒頭に、コーディネーターの馬場さんから、「木育=木がある空間/おもちゃ/環境+α」とのテーマが提示されました。

大きくうなずきました。
そうなんですよね、単に、空間に木を使う・木のおもちゃがあるだけでは、木の空間と木のおもちゃがあるだけであって、わざわざ木育と呼ばなくてもいい。そうだ、もう一歩何かがある という定義をいただき、すでにとても納得でした。

3人の実地に活動している方々からは「愛着」「物語」などを+αだという意見が述べられました。
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そうだそうだ!

私なりの解釈では、「木に本人が接するだけでなく、木について"自分ごと"と思えるようになること。さらには、他者にそれを語れるようになること」ができると、「木育された人」になるのかなと、思いました。
そのためには、気づきを促す仕掛けや声掛けや語りかけなどが必要になる。

なるほどなるほど。

もう1つ、コーディネーター馬場さんが3人のパネラー全員に聞いていたこの質問!
「それって、プラスチックじゃだめなんですか?」

これもきっちり説明できるようになりたい点です!!! まさにそこなんだよ! 馬場さんサイコー!

木は何がいいか・・・を書き出してみます。

まずは五感で感じられますね。
・視覚:見た目に美しい。キャッシー的表現で言えば、見た目の情報量が多くて見飽きない。20年30年という歳月をかけて、春夏秋冬を過ごして1つ1つの細胞が生まれ成長して定着していくだけの情報がそこにはあります。
おもちゃ美術館の石井さん曰く「床の杉の無垢材の節がとっても気になるみたいで、全速力のハイハイで進んでた子が急に止まって見入っていたりする」そうです。1つとして同じものはなく、また、経年変化も、味のある感じになる("劣化"なる場合もありますが)。

・触覚:触って心地いい。特に無垢のものは気持ちいいですよねえ〜 これはもう本能としか言えないかなあ。
視覚と同様に、硬さ柔らかさについても情報量が多いので、触り飽きないってところもあるかな。

・味覚:舐めてもうまい。「赤ちゃん木育広場」では、無垢の木のおもちゃを口で確かめる赤ちゃんたち(これもきっと本能)。私はまだトライしてないので味は知りませんが、香りから察するに、樹種でそれぞれ味も違うと思います。

・嗅覚:香りがします。特にスギとヒノキはよく香りますね。広葉樹はあまり香らない印象があるけれどどうなのかしら?

・聴覚:音も違う。いい音がします。いいか悪いかは主観ですが、耳障りな音ではないと思う。木琴があるくらいですからね。また、木の1つ1つが違うから、違う音がするわけです。

そしてこの五感で味わえる楽しみは、別に人間のためにそう作られたのではなくて、太古から木が生きるために進化させてきた機能美そのものなんでしょうね。

さらに、近隣で(少なくとも国内で)生まれ育った材というのは、親近感を持ちやすい。東京の真ん中で「これは天竜材ですよ」と言われればどうしたって愛着がわきます。また、これはみほちゃん(友人)が伐った木ですよと言われれば、もっと親しみがわきます。

対して、プラスチックはどうか。
文脈がそもそも「プラスチックでは良くない」という方向なので恐縮ですが、まとめると、あっという間に整形されたそれは情報量が少なく、人間が企画した商品としての存在であって、存在そのもので楽しむにはちょっと足りないんだと思います。
その分大量に一気に作れて行き渡らせることができるのがいい点で、こうやってざーっと世の中に普及し、機能を提供しているわけです。

「機能だけでは味気ないことに気づいてしまった」のが木育の機運なのかなと思います。

道具そのものにすら愛着を持って暮らすことの豊かさに気づいてしまった。素通りではなく、その物を五感で感じ、その性質や背景も知って、さらには「これは私に属しているものだ」という気持ち=愛着も芽生えてほしい ということだと思います。

そしてこれは次の大人の木育にも共通するテーマです。

■「大人の」木育
大人の・・・って、あやしい意味ではありませんよ笑

木の良さを伝えてくのが普通の木育(対象は主に子供)だとすれば、「仕事に木を取り入れていく」ことが「大人の木育」だと私は考えました。そんなお話をしたのが、スギダラJR九州チームでした。
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別にプライベートで好きにやればいいのに、なぜ「仕事」に木を取り入れたいのか? 
まあ、日中の大半をお仕事に時間を割いている立場の人も多いわけだし、仕事に木を取り入れるのは影響力が多し、何より 楽しいから! 取り入れて仕事も楽しくなればいいよね! もうそれだけ!

こちらも同じで、大量生産・経済優先・普及優先で、とにかく機能条件を満たすものを普及させることが命題だったのですが、実際に機能だけが提供された物品たちが周りにあふれた状態になってみたら、けっこうつまらなくて、つらいことが分かったわけですね。

もうちょっと楽しめるものが存在しててもいいんじゃないか? 余白があっても、役に立たないものがあっても、いいんじゃないか? 詳しくはスギダラ活動に関わっていただければと思いますが、スギダラ的愛着楽しさ余白満載な活動を、どうやって効率重視の会社組織で実現させたのか、というお話でした。

そのエッセンスだけ書きますと、
・自分の裁量の範囲でとにかくやる!(超ささやかなことでもいい!)
・いいものを作り続ける!(ここが勝負!)
・しつこくやり続け言い続ける!(数年単位のしつこさ!)
でやっていると、白い目だった周りも、まああいつはああいう奴だからと受け入れて(あきらめて)黙認してくれたり、遠くにいる興味ある輩まで噂が届いて声かけてきたりと、少しずつ影響が広がり、5年とか10年の単位で浸透する実例としての、JR九州「日向市駅」とその後の活動のお話でした。

もともとそのような社風だったのかは分からないですが、JR九州という組織が、もうこの「愛着」に目覚めています。

だからこその「ななつぼし」であり(豪華寝台列車を作っただけでななく、乗員から停車地の人々が意思をもって「おもてなし」に携わっている)、2011年の九州新幹線の開通時に新幹線に向かって手を振ろうキャンペーンに15,000人の市民が参加したのであり(Youtubeで見れます)、最近では、九州管内で事故が発生した際に、乗客の避難誘導などを地元住民が自ら行ってくれ、お礼に訪れた社長に対し「いやあ、JR九州さんは身内やけん、当たり前さ」とおっしゃる。

効率では起きないことが起きるわけです。
とはいえ、大きな成果も最初は自分の裁量でできる微細なことから始まる。

子供への木育も、社会で木育的なことを行うことも、まあ同じことなんですね。
そんな木育学会でした!
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# by sugidaratenryu | 2016-02-20 15:59 | 杉道具/杉家具

アベリア襲来[屋台大学] その4 <完結>

さて、アベリア屋台大学レポートは、第4弾にて、アベリアのアベリアらしい爆笑エピソードをちりばめて、ライトな感じで終わろうかなと思っていました。

いやいや、まだまだヘヴィに伝えたいことがありました〜ってなことで、「いまアベリアが取り組んでいること」をレポートします。

■子供達に、幸せな記憶を残す
アベリアのすったもんだあれやこれやの経験を踏まえて、別府への留学生や街の人たちの「小さなズレ」を1つ1つ取り持っている ということは先にお伝えしました。

それがまさに「いまの今」の別府への愛情なら、未来の別府への愛情がこちら:子供達に、幸せな記憶を残すようなことを、盛り上げていく、ぶちかましていく活動です。

アベリアの行動の原点の1つに、「すべてをあたりまえのこととして受け入れる別府の街」というのを、肌で目で耳で実感していることがあると思います。自分自身が本当に体験した、その渦中にいたということは、そんな場が存在していたという事実をゆるぎないものにします。

「え、そんな理想郷あるわけないじゃん!」「夢の世界よ、それは」という、素直な反応にはなかなか反論しづらいもの。でも、私の中にはその記憶がある! そして、体験したことによる膨大な情報は、実現への手がかりになりえるんじゃないだろうか。

体験の中には「おばちゃんはこんな口調で、言ってる言葉はきつくても優しさが感じられた」とか、「全然優しくないように見えて、知らないところですごく苦労してくれてた」とか、本や写真だけではわからない機微というか、1つ1つの細かいことが、記憶に刷り込まれているはず。

そして、未来は必ずやってくる。いきなり言いますが、「自分がいなくなった先の未来も必ず来る」。アベリアは、そのことも見据えているような気がします。

人が死んでいなくなる という話をするとつらく感じる方もいらっしゃると思いますが、書きます。

いつか、その日は必ずきます。今日と地続きでやってきます。だから、いなくなたった先のことを考えておくのは、例えば「3年の時間が過ぎたら"3年後"が来るから、その時に備えておこう」というとても冷静な話と同じです。いなくなる日が、明日なのか50年後なのかはわからないということだけです。
それにこの世からではなくても、組織から退職する日、引っ越してこのコミュニティからいなくなる日ってのもあるわけで。

アベリアは、自分が体験したのと同じように、「誰もがあたりまえに受け入れられている日常」を子供達に伝えていきたいのだと思います。
(具体的には、子供達と留学生との文化交流イベントや、祭りの復活、新しい祭りの立ち上げなどを活動中とのこと! 詳しくは(勝手に宣伝しますが)アベリアのFacebookを見てね!)

ちなみに、アベリアのばーちゃんもすごい。
このばーちゃんがいてこそ、このアベリアがいる、といった感じで、70歳でマラソンを始めて数年後にはハワイ・ホノルルマラソンに出場するくらいのお人です。

時々アベリアのfacebookで御言葉を拝見しますが、すごい。
たぶん、アベリアの活動を眼の前で見ているわけじゃなあないのでしょうが、響く言葉をくださる。

想像ですが、たぶんばーちゃんも、いつか必ず来る日に備えて、若人にいろいろ伝えにゃあな〜と思って、例えばそれが60歳に思ったとして、いまでは90歳を超えられ、若人への指導30年、もはや顔を見ただけで考えていること悩んでいること背中を押してほしいことなんかが分かるんじゃないでしょうか。もう仙人なんじゃないでしょうか。


■GPS
さて、たくさん、いろいろなことを書いてきました。
このレポートは、ワタクシ・キャッシーが、「アベリアのあの動きの源は一体なんなんだ!?」という疑問を中心に構成しておりますので、比較的、難しい雰囲気で分析しております(したつもりです)。

実際のアベリアは、とにかく楽しい!嬉しい!みんなの笑顔が見たい! その気持ちだけでグイグイワイワイどんどんと活動しています。

さて、GPSとは、アベリアが提案する指標です。
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笑顔がたくさんあることが、幸せであり目指すところである!
やっほーー! いくぜーーーー!!
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そんなこんなで、どうもまとまりきっていませんが、書き切ったという思いでございます。
どなたかの参考になれば幸いです。
アベリアの思いを曲解している部分があったらごめんなさい。
とにかく感動しきりでした。
アベリア、また会いましょう!
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# by sugidaratenryu | 2016-02-06 14:57 | つながり


日本全国スギダラケ倶楽部、天竜支部です。
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